NATSUMI OKUMURA

奥村奈津美

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広島土砂災害 ① 発災10日目レポート

By Published On: 2015年8月20日Categories: Column, NHKジャーナル0 min read

広島土砂災害から、きょうで1年です。
8月20日の未明に降った局地的豪雨で大規模な土砂崩れが発生し、75人が亡くなりました。
改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、
被災された地域住民の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

私が現場に最初に入ったのは、発災から10日目でした。 あの日、感じたことを綴ります。

広島駅から車で20分ほど。
緑に覆われた山肌には、爪で引っ掻いたような肌色の土石流が流れ下った痕がくっきり見えました。
その爪痕は、テレビで見ていたよりも高い場所から住宅地へ続いている印象を持ちました。

土砂災害現場に入るのは初めてで、 まず驚いたのは、強烈な臭い。
土砂災害の前兆現象で、腐った土の臭いがするとよく聞いていましたが、
まさに、何かが腐ったような鼻をつく臭いが漂ってました。
津波被害の現場も異様な臭いでしたが、それとはまた違う悪臭でした。

そして、もう一つは、まったく無傷の住宅の隣り合わせに土砂に飲み込まれた家もあるという事実です。
最も山際の、土石流が流れ下った道沿いの家に暮らしている方にお話を伺ったところ、

「道を挟んで反対側に土石流が向かい、そこにある家は、家の基礎だけしか残らなかった。
自分の家は窓ガラスを破って、一階の床上50センチほど土砂が入ってきた。
一方で隣の家は、全くの無傷。運不運としか言いようがない」と、おっしゃっていました。

土石流が直撃した家は、一階部分は跡形もなく破壊され、
屋根を下に逆さまになった二階部分の一室だけが10mほど下にとどまっていました。
土石流の威力の凄まじさに、言葉を失いました。 こちらのお宅の方は亡くなられたそうです。

山際から一本離れた道沿いにある、県営住宅の一階にもお邪魔させて頂きました。
ご高齢のご夫婦が暮らすお宅。
お二人ともベッドに寝ていて助かったそうです。
砂が入ってきてベッドが浮き上がりそのまま流されたため、土砂に巻き込まれずに済んだと
おっしゃっていました。
ご主人は腕を骨折、奥様は手を捻挫されたそうですが、命に別条はなかったそうです。
ただ、家の中には土砂が膝下くらいまで溜まっていて、
10日も経っているのに、土砂は、長靴に吸い付くようにまとわりつき、足が取られました。
そして、息を止めたくなるような悪臭。土砂が酸化し、日を追うごとに臭くなっていったそうです。
もう、この家には住めないとおっしゃっていました。
今は避難所暮らしをしていますが、「これからどこに暮らして、どうなるのか…」と、心配されていました。

当時、行方不明者の捜索が行われている八木地区。
想像以上に急な斜面にあり、道も、車一台通るのがギリギリな狭さ。
タクシーの運転手さんも、「雨の日はすべってしまうので、危険を感じる」とおっしゃっていました。
あの日は、災害が起きた後に避難勧告が出されましたが、
たとえ、避難指示や勧告が出ても、 夜中の豪雨の中、あの坂道を下って避難するのは、
若い人でも危険だと感じました。

また、そういった住宅地の特徴が、救助、復旧作業を難しくしていると感じました。
例えば、土砂を撤去したくても、トラックや重機が入れない場所だらけなのです。
1週間以上経ってやっと重機などが入れるようになったというお話もありましたが、 それまでは人海戦術。
たっぷり水分を含んだ重い土砂を撤去するのは想像を絶する作業です。
10日間、多くの方が復旧作業に尽力されていましたが、
まだ地面の見えない場所、土砂が入ったままの家がいたるところにありました。

5年間、広島で暮らしていたこともあって、今回の被災地域にもよく足を運んでいました。
そこが、このような形に変わり果ててしまうとは、ショックでした。
すぐにでも駆けつけたい気持ちを抑え、週末を利用して二日間の取材。
復旧作業中にも関わらず、多くの方が取材に応じてくださしました。
みなさん、「目の前の土砂をどうするのか、精一杯な毎日で、それが今も続いている」とおっしゃっていました。

一日も早い復旧復興を願って・・・

 

次に訪れたのは、1か月後でした。
広島土砂災害:発災1か月レポート

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