NATSUMI OKUMURA

奥村奈津美

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広島土砂災害 ② 発災1カ月レポート

By Published On: 2015年8月20日Categories: Column, NHKジャーナル0.1 min read

2014年9月20日

広島土砂災害から1か月となった現場へ、再び取材で入りました。

まず、向かったのは、被害が大きかった、広島市安佐南区八木3丁目。
行方不明になっていた方の捜索が行われていて、以前訪れた時は入れなかった場所です。
ようやく土砂の撤去作業や水道の復旧工事などが始まったという状況で、
土砂やがれきなどが、いまだに、私の身長の2倍から3倍の高さまで、あちらこちらに山のようになっていました。

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ただ、それ以外の多くの場所では、道を覆っていた土砂は、ほとんどが取り除かれていました。
訪れた週末も、多くの住民やボランティアの方が、家を住めるようにと、掃除されていました。

 

前回、取材させて頂いたお宅を訪ねました。

八木3丁目に夫婦で暮らしていたAさん(67歳)。
床上60㎝まで土砂が積もり、1階部分のほとんどが壊れました。
一か月経ち、
土砂がつきやぶった窓にはサッシが入り、土砂のあとがついていた部屋もきれいになって、
あとは床を直せば住めるというところまできていました。

ただ、奥さまは、今もあの日の恐怖が消えないと話していました。

「土砂が足のところに来た感覚と、ドドドドドという音、やっぱり怖いですよね、
だから夜中に目が覚めるんです。毎日2時か3時かな、ふっと・・・
夢を見たわけじゃないけど、目が覚めるんですよね。熟睡して朝までずっと眠れたのは1回もないです」

いつまた同じような災害が起きるか分からない不安は残っているということでしたが、
ご主人は、この場所で暮らしていくしかないと考えています。

「お金があれば、下の平地へ行った方がいいんだけど、
今さらこの年で、地価の高い平地にローンを組んで買えませんしね。
ローンを組もうにも組ましてもらえんです。しょうがないから住まなきゃならん」

60代後半。新たなローンを組むことは容易ではありません。
家を直すのに500万円はかかるそうで、老後の貯蓄を取り崩すしかないと話していました。

 

安佐南区の避難所で出会った、Bさん(46歳)。

元の場所に住み続けるべきか、迷ってらっしゃいました。
両親と妻、3人の子ども。家族7人で暮らしていた家は、土砂が流れ込みましたが、 半壊状態で残りました。
家族全員で暮らせる家を探しましたが、希望に合う物件はなく、
両親は避難所に残り、Bさんたち5人は学校が始まることもあり、近くにアパートを借りました。

「いろんなことが、あっというまに過ぎていった感じですね。
一瞬に今までの生活がなくなっちゃってですね。
何したらいいのか、迷いながら、仮の生活を立ちあげるためにいろいろ奔走して、
そういうのに明け暮れた1か月ですね」

もともと父親が建てた家を、結婚を機に2世帯住宅に立て替えたBさん。
ローンも10年ほど残っていました。
立て替えるのか、新しいところに行くのか、なかなか決断できないと話されていました。

「土砂で埋まっていた柱がだんだん出てきたり、床が出てきたりすると
いけるんじゃないかなあと、思ったりもするんですよね。
僕が思ったり、父がそういう気持ちを強く思ったり。
でも、作業終わって、ご飯を食べてたら、
でも危ないしなあ、雨降るたびに、心配しながら生活するのはどうなんかなと。心がゆれちゃいますよね」

山に近い場所にあるBさんの家は、
隣の家も、前の家も、基礎だけを残して、跡形もなく流されてしまいました。
この場所に住み続けて大丈夫なのか?
行政は安全を確保するためにどんな対策を取ってくれるのか?不安を感じていると言います。

「道路とか水路とか、砂防ダムとか、その他の防災の手当てがね、どうなりますか。
今後の生活の判断の大きな要因になると思うんですよね。
そこが見えてこないというのがストレスだったり不安だったり、困っていることです」

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 被災された方たちは、避難所や市が用意した公営住宅に入居したり、
自分で家を借りたりして、避難生活を続けながら、生活の再建に取り組んでいます。

土砂が撤去され、電車も動き始め、一見、以前の生活が戻ってきたように見えますが、
実際は、みなさん、これから最終的にどう生活するのかという問題を抱えていました。
災害の恐怖と向き合って、ここに住み続けるのか、それとも離れるのか。
金銭面や安全面など、生活再建への大きな不安と向き合い続けています。

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