NATSUMI OKUMURA
奥村奈津美
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熊本地震 防災士によるボランティアとは?③
被害が大きかったエリアを歩いてみたのですが、
報道で見る以上に家々が潰れていて
瓦屋根の木造住宅を中心にほとんどが被害を受けていました。
一階部分がつぶれた家も多く、例えつぶれていなくても、斜めに傾いたり、今にも崩れそうになったりしている家も少なくありませんでした。
応急危険度判定が行われた家の前に紙が貼られています。
立ち入り禁止の「危険」が赤色
立ち入りには十分注意してくださいの「要注意」が黄色
使用可能と判定された「調査済み」の住宅には緑色。
一時間ほど歩いてみたのですが、緑色の張り紙を見つけることは難しく、ほとんどが赤、もしくは黄色い紙が貼られていた。
3週間経ちましたが、瓦が落ちた家の多くは、屋根に青いシートが貼られていました。
そして、崩れて道をふさいでしまった家については、重機で敷地内に戻されていましたが、それ以外はほとんど手つかずといった印象でした。
益城町の住宅被害は一部損壊も含めて5400棟に上ります。
実際に歩いてみると、その被害の大きさ、範囲の広さを痛感しました。
今回ボランティアさせて頂いたあるお宅も、
赤い紙が貼られていました。
家主は、70代のお父さん。
「やっとローンを全部返して、
これからと思っていたら、こんなことになった。」
一階は今にも潰れそうに傾き、
二階は形をとどめていましたが、窓ガラスは割れ、中はぐちゃぐちゃに…
命がけで、家の中のものを倉庫に移したそうですが、
その倉庫に、余震でブロック塀が倒れかかり、
倉庫も危ない状態でした。
そこで、このブロック塀を撤去してほしいというのが、ボランティアへの依頼でした。
男性4人と、家主のお父さん、息子さん、
みんなでロープやハンマー、ペンチ…様々な工具を使って、試行錯誤。
なんとかブロック塀を撤去することができました。
作業を終えて、
お父さんの言葉に涙が出ました。
「二次災害で、全財産がダメになるかと思っていました。
本当に助かりました。
希望の光が見えた気がします。」
家を解体して、その間どこかに住んで、それからまた新たに家を建てるかどうか…
これから続く厳しい現実を想像すると、どんな言葉を返したらいいのか、分かりませんでしたが、
ただただ、前を向いて進めますように、と祈る気持ちで
「どうか、ご自愛ください。また何かありましたら、ご連絡ください」
という言葉を残して、その場を去りました。
地震という自然の脅威に、無力感ばかり感じますが、
それでも、ボランティアが少しでも力になれればと思います。
私が参加させていただいた、益城町にある「日本防災士会」の拠点では、今後も全国から「防災士」を受け入れて、住民からのニーズがある限り、後方支援を続けたいということです。
※防災士のボランティアは、震災2ヶ月の6月14日をもって、いったん現地支援本部を撤収することとなりました。詳しくは「日本防災士会」のHPをご覧ください。(6月1日加筆)
また、一般のボランティアの受け入れをしている熊本県社会福祉協議会も「大型連休が終わると、人手が少なくなる恐れがあり、これからも多くの方に参加してほしい」と呼びかけています。
ひとつひとつ片付けて、復旧していくしかないですもんね。
一日も早く、安全で安心できる街を取り戻せるよう、ボランティアの力も求められていると感じました。