NATSUMI OKUMURA
奥村奈津美
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鳥取地震から半月、倉吉市の今〜ボランティア編〜
鳥取地震から半月ほどが経過した被災地、倉吉市を訪れました。
震度6弱の揺れに襲われた街は、至る所に、ブルーシートが屋根にかかった家が目立ちました。
ただ、熊本地震で見られたような、一階が潰れてしまったり、倒壊した家屋はなく、多くの方が避難所から自宅に戻られて生活されてました。
※発災当初は2000人余りが避難されていましたが、この日、避難されていた方は、114人でした(平成28年11月6日(日) 午前8時 現在 倉吉市調べ)
倉吉市は、地震の翌日に災害ボランティアセンターを立ち上げ、
10月28日からは県外のボランティアも受け入れていると伺い、参加させてもらいました。
この日も、小学生から県内外、老若男女、92人が参加されていました。
発災当初は、作業のほとんどが「ブルーシート張り」で、ガテン系の男性が求められていましたが、徐々にニーズも変わり、女性でも力になれる仕事が出ていました。
ということで、この日は、県内各地から集まった女性の皆さんと一緒に作業させて頂きました。
一軒目、災害ゴミの撤去作業
二件目、避難所のトイレ掃除
三件目、倒れた本棚や網戸などを元に戻す作業
でした。
一軒目に訪れたのは、
50年以上、倉吉で床屋を営んでいるご夫婦。
お店の入り口には、「危険」と書かれた赤い張り紙。
「この歳から、借金を背負って店を立て直すことはできないから、廃業するしかない」とご主人。
どんな言葉を返したらいいのか…
作業が終わったところで、奥さんがお茶を出してくださり、そして、姿が見えなくなるまで手を振って笑顔で見送ってくれましたが
「風邪引かないようされてくださいね」
そんな言葉しかかけられませんでした。
二件目は、避難所となっている上灘小学校の体育館のトイレ掃除。
こちらの避難所には、ご高齢の方ばかり。体育館の中央に小さなテレビが置かれ、その周りに4、5人の年配女性が集まっていました。
そして、男性が一人、ぽつっと端の段ボールベッドに腰掛けていました。
なんだか寂しい光景に心が痛みました。
体調など崩されないように願いながら、トイレを綺麗に掃除することしかできませんでした。
そして、最後に訪れたのが
90代のご夫婦二人暮らしのお宅。
地震から半月が経ちましたが、倒れた家具はそのままでした。
一度、雪崩のようになっている本全部を取りのぞき、
本棚を起こして、元の位置に。
せっかくなので、床や棚も雑巾掛けして、本を並べ直しました。
そのほか、天井から吊り下げられた電気傘も揺れで斜めになったまま、
網戸も外れたままでした。
ひとつひとつ、元に戻していきましたが、
確かにご高齢の方には、地震で倒れた家具を元に戻すのは、難しいことだなと感じました。
家具を固定することは、地震の揺れで倒れる危険を防ぐだけでなく、
地震後の片付けなど復旧作業を極力少なくするためにも重要だと感じました。
社会福祉協議会の方に伺うと、
ボランティアセンターの存在がまだまだ認知されていないこと、
知っていても、申し訳ないと遠慮して、頼めないでいる方が多いそうです。
そのため、自分で何とかしなくちゃと、片付けに追われている人もいるそうで、「みんな疲れ果てて元気がなかったのが心配」とおっしゃっていました。
「東京から来ました」
というと、
「遠くからありがとう。助かります」と声をかけてくださり、
作業が終わる頃になると、少し表情が明るくなるのを感じました。
一日でも参加できます。
倉吉市でのボランティアに参加したい方は、こちらご覧ください。