NATSUMI OKUMURA
奥村奈津美
福島第一原発20キロ圏内ツアー③浪江町ⅱ
続いて訪れたのは、
福島第一原発から北に7キロ離れた浪江町請戸地区。
天気が悪かったので、はっきりとは見えませんでしたが、
山の向こうに、福島第一原発が見えました。
今、原発で何かあったら、どうしよう…ちょっと不安な気持ちにもなりました。
ここ請戸地区は、漁師町として栄えてきましたが、
地震、津波、原発事故という3つの災害に襲われました。
震度6強の揺れと、15メートルを超える津波。
180人以上の方が亡くなり、約600戸の建物が流されたそうです。
請戸漁協
請戸集会所
瓦礫を撤去したり、除染を進めたりと、ちょっとずつは変わってきているのだと思いますが、
同じように津波被害を受けた、宮城や岩手の沿岸部と比べると、
復興が全く進んでいないように感じてしまいます。
浪江町立請戸小学校
午後3時40分前で止まった時計。この時間に津波が来たのでしょうか…
請戸小学校は、ひと学年10人ちょっとの100人くらいの児童が通う小学校だったそうです。
体育館のステージは、卒業式の準備のまま…
あのから時間が止まっているようでした。
この請戸小学校は、地震発生直後、児童全員が避難し、無事でした。
実際にその小学校に立ってみると、いかにそれが奇跡のようなことなのか実感できます。
目の前が海、そして、周りには高い建物や高台がまったくありません。
そこから、1キロ以上も離れた大平山まで走って逃げたのですから。(上の写真の濃い緑色の部分が大平山)
しかも、小学生の足でです。
恐怖や不安、いろんな気持ちと闘いながらだったと思います。
そして、その山でよく遊んでいた児童が案内して、山を登っていったそうです。
山を登っている最中に、津波が押し寄せ、町が飲まれていく音が聞こえたと言います。
山を越え、国道に辿りつき、そこで、たまたま通ったトラックに乗せてもらい、町役場まで避難できたそうです。
今年、その話が絵本となって発行されました。
しかし、絵本には、原発事故については書かれていませんでした。
最後の参考というページに
「翌日以降 福島第一原発事故により避難指示される。
現在まで続く避難生活が始まる」
という記述があるだけでした。
子どもたちはどこでどんな生活を送っているのでしょうか…
今、小学校の裏側には、白い塀がどこまでも続いています。どこまでもどこまでも…かなりの広さです。
Nさん曰く、この塀は最近出来たそうです。
気になって入り口を探してみると、そこには「請戸仮置き場」と書いてありました。
おそらく、放射性物質により汚染されたゴミの仮置き場だということです。
中を覗くと、壊れたトラクターが並べられたり、また木材の山、鉄の山など、材質ごとの分類され置かれていました。
これも、震災直後に沿岸部で見た光景でした。
4年8ヶ月経ちましたが、
ようやく分類できるようになったということなんでしょうか…
そして、簡易の焼却炉もありました。
少しでも放射性物質に汚染されたゴミの体積を減らそうという試みだそうです。
かつて漁師町だった請戸地区。
この広大な土地はこれからどうなっていくのでしょうか?