NATSUMI OKUMURA

奥村奈津美

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東日本大震災から9年…2011年3月11日2時46分

By Published On: 2020年3月11日Categories: 防災コラム, Column, 3.11 東日本大震災0.1 min read

私が、防災に力を入れるようになったきっかけは、東日本大震災です。
仙台の放送局でアナウンサーをしている時に経験しました。

あの時の悔しい思い、今でもを忘れません。

取材でお世話になった方や、いつも番組を見てくださった視聴者の皆さんなど
大勢の方とあの日を境に会えなくなりました。

「二度と同じ思いをしたくない」

その後、防災士や、福祉防災認定コーチの資格を取得するとともに
災害のたびに被災地を訪れて、取材やボランティア活動に参加してきました。
また、そこで学んだ教訓を、担当している番組で発信したり、
防災訓練などで伝えたりしているところです。

今月も防災をテーマにしたトークショーや、
ママ向けイベントで防災講座を開くことになっていたのですが、
残念ながら新型コロナウイルスの影響で延期となってしまいました。

直接お会いして伝える活動がなかなか難しい中、
このホームページを通じて、一人でも多くの方が防災に関心を持ち、
自分や大切な人の命を守る備えにつながればと願い、綴ります。

前置きが長くなりましたが、まずはあの日のあの瞬間にあったことから…

2011年3月11日午後2時46分

私は仙台市内にある自宅マンションの7階にいました。
台所で野菜を茹でている時に揺れが起きました。

その時の光景を今でも鮮明に覚えています。

小さな揺れが来たので、すぐ火を止めたのですが、
直後、揺れが大きくなって、火にかけていた鍋がひっくり返りました。

次の瞬間、冷蔵庫の上に乗せていた大型のオーブンレンジ(30キロ)が
空中を飛び、自分の方に落ちてきました。

幸い、鍋やレンジを避けることができたのですが、
恥ずかしながら何も地震対策していなかったので、
台所の上の戸棚から、ありとあらゆるものが降ってきました。

地震の数日後に撮影した台所(電子レンジは冷蔵庫の上に戻しています)

私の暮らしていた地域は震度6弱だったのですが、
地球がひっくり返ったのではという揺れで、とても立ってはいられません。

台所にいては危険だと思い、近くの玄関スペースに逃げました。

その時、脳裏をよぎったのが、ニュージーランドのクライストチャーチの地震です。

その年の2月に日本人が倒壊した建物の下敷きになって亡くなったニュースをお伝えしていたこともあり、マンションに閉じ込められるのはと思った。

玄関の扉を開けたのですが、マンションから振り落とされそうになりました。
なので、ドアノブを握ったまま、揺れが収まるまでなんとか耐えていました。
およそ4分ほどでしょうか…本当に長かったですよね

揺れが収まるまで、何もできなかったのが正直なところ。

人生で初めて死の恐怖を感じました。

放送では地震の時、「身の安全を確保してください」と呼びかけますが、
安全な場所が当時の私の家の中にはありませんでした。
普段から家の中をいかに安全な空間にしておくかが大事だと感じました。

防災について勉強した今だから分かること

・火はすぐに止めなくても大丈夫
現在は揺れを感知したら自動的に止まるようになっている
あの時、まず火を止めましたが、タイミングが悪ければ、ひっくり返った鍋で大火傷をするところでした。今考えるとと怖いことをしました。

・家具や家電を固定する
30キロもある電子レンジが飛んできたというのは信じがたいことかもしれませんが、本当に真横に飛んで落ちてきました。固定しないと命を奪う凶器になると痛感しました。

・戸棚や引き出しも開かないように固定する

揺れはおさまっても、全身の震えが止まらなくて、恐怖から家の中にいられなくて、とにかくマンションの外へ避難することに。

足がガクガク震える中で、
7階から階段を降りるのも怖かったですし、
雪がちらつくような寒さなのに
動揺して上着を着るのも忘れて、
ブレーカーを落とすのを忘れて…

結局、もう一度7階まで戻ってから、再び避難することになりました。

今思えば、もしまた大きな余震に襲われていたら、マンショが倒壊していたかもしれません。

本当に何も準備できていなかったと痛感しました。

・避難の持出袋を用意できていたら
・ブレーカーを落として出られたら
今ならあの時よりは落ち着いて行動できるでしょうか。

皆さんはとっさの避難の準備はできていますか?

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